ペット供養のひとつの提案
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はじめに
ペットを迎え入れたら、お別れもあります。
この記事では、実際にした「お別れ」を紹介します。
前提として、①特定の宗教に入信していません、②都合の良いことだけを信じています。
実際に行ったお別れ
個別火葬
まず火葬には集団と個別があります。
その名のとおり、集団は他の子達と一緒に火葬します。返骨はありません。
個別は1匹ずつ火葬します。返骨をしてくれる場合が多いです。
私は骨を返してもらいたかったので、個別葬を選びました。
私の住む横浜市では、実は公営でペットの個別葬をしているめずらしい地域でもあります。
このような自治体は全国でも数えるほどしかありません。
もし、私が横浜市に住んでいなかったら、民間で個別葬をしてくれるサービスを利用していたと思います。
民間でのサービスは実際の口コミを事前によく調べておく方が良いです。
最後のお別れで後悔を抱く飼い主さんも多くいるようです。
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粉骨
この後のお別れに必要なので、粉骨しました。パウダー状です。
実際に骨をパウダーにすると、両手いっぱい分の骨が片手に収まるくらいの量になります。
1時間〜2時間ほどでキレイなパウダーになりました(都内の粉骨サービスを利用)。
しかし、あまりにも寂しかったので体の一部分だけの骨をパウダーにしませんでした。
このひとかけの骨はいつまでも私のそばに置いておくつもりです。
樹木葬
パウダーにした骨は土に埋めると、5年ほどで分解されます。
庭を持っていないのでプランターに埋めました。その土で私は植物を育てています。
なぜこの形を選んだのか
寺に入れたくない
前提として、私は動物達は神使であると考えています。
神使とは、神様と人間を繋ぐ架け橋となってくれる存在です。
よく神社にも狛犬がいますよね。狛犬のほかにもたくさんの動物達が神と共にいます。
私が「ごんたは神様と一緒にいる」という発言をするのは、神使だと思っているからです。
つまり、この前提だと動物達は仏にはなりません。仏は人間しかなりません。
その昔、神社と寺は一緒でした。その後、役割が多岐に渡りすぎたため、神社と寺が分かれました。
寺は仏様を祀る場所になりました。
そうなると私は寺に骨を納める気にはなりません。だって、神使だし…
話を戻して、横浜市の合同火葬のあとはペット霊園に納められます。もちろん「寺」になります。
それに、一生横浜に住むつもりはない。
横浜の地から離れてしまったら、この子と離れることになってしまう。それだけは嫌でした。
個別火葬・返骨の一択でした。
よくある手元供養を考える
個別火葬の後、骨壷を手元に置いて自宅で供養する形もよく目にします。
ただ、私…一緒に住む家族がいない。
そうです、自分が亡くなった時に誰が骨壷をどう扱うのかについて考えました。
嫌な気持ちになりながら処分します。少なくとも良い気持ちにはならないかな、と想像します。
そう思うと、そのままの骨壷を手元供養はできません。
それに遺骨カビる問題。
高温で処理されて密閉されているので確率は低そうですが、調べてみるとカビた遺骨の写真がずらり。
それだけは絶対嫌。カビたらどうにもできない!
期限を決めて供養できる形にしなければ…と考えた答えが、パウダーにして土に還す方法でした。
パウダーにして土に埋めると5年ほどで分解されます。
5年だったら生存確率高めかな、と考えました(実際分かりませんが…)。
それに、私が引っ越しをしても一緒に連れて行ける。一番のメリットだと思いました。
樹木葬の難関?植物育てるのが苦手
私は植物を育てるのが苦手です。
少なくとも得意ではありません。
植物を育てるのが苦手な私に最適な植物は何かな、できればこの子が好きな植物がいいなと日々悩んでいました。
実際に骨を埋めてしまうのだから、そこに生きる植物がその子になると感じていました。
ただ、考えても考えても枯れる未来しか見えません。
どうしようかと散々悩んで出した答えが、「植物はその子ではない。土自身がその子なのだ」ということです。
見方を少し変えれば、土を守りさえすれば完遂するのです。
これなら枯れる心配をすることはありません。土を守ろう!
※この記事の写真は、実際に私が骨を埋めた土です。あの子の大好きなパクチーをリポベジしました。

さいごに
ここまで読んでいただいた方はもう分かりますね。
「随分と都合の良い解釈をする人だな…」
えぇ、えぇ。そのとおりです。
しかし、供養の本質は、残された飼い主が心を傾けることだと解釈しています。
供養をすることで、飼い主自身が救われることが大切だと思っています。
救われる、気持ちに折り合いをつけること。
少なくとも私はこの方法で、折り合いをつけていきました。
いまのところ後悔はしていません。
ペットに責任を持つことって、実は骨になった後でも続くことだと思っています。
自分がいなくなってもどこかの誰かが嫌な思いをしないように、遺骨を大切に扱えるうちにカタをつける。
これが私の供養の形でした。
