ペットロスから鬱になった話

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ペットロスから鬱(うつ)になった話

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2022年10月〜2024年12月ペットロスをきっかけにうつになりました。
現在は寛解しています。その記録です。

発症前

多忙な日々を過ごしていました。コロナで散々振り回され続け、疲労困憊な時期でもありました。
仕事は責任のある役を任され、特に発症する直前は最大の仕事量をもっていました。

愛兎の看病もしていました。
昼休みに職場から一旦帰宅して様子を見に行って、ごはんをあげたり、リハビリをしたりしていました。

元々看病がなくても、業務中の昼休憩はほとんど取れていませんでした。
それを是正する上司もいませんでしたし、私は一刻も早く帰りたいので、ぎちぎちに仕事を詰め込んでいました。やればやるほど仕事が増える意味がわからない立ち回り方をしていました。

発症

ある日、看病をしていた愛兎が亡くなりました。
いつか亡くなるのは当然の摂理。
しかし、頭では理解していたものの全く受け入れられませんでした。
仕事はあるので何とか耐えようとしていました。

結論は耐えられませんでした。
私が変だなと気がついたのは、会話の内容さえ覚えられなくなっている症状からでした。

まとめると、

・覚えられない(3秒前に話した内容も危うい、自分が何を言ったか曖昧)
・文章が読めるけど、理解できない
・会話スピードの遅延(相手の話したことの理解がしにくく、また自分の考えもまとまらないため、ワンテンポ遅れて返事をしている)
・食欲の低下
・不眠、断眠

私が知るペットロスだけではない症状を自覚しました。
当時、急性期病棟で働いており、状況を見ながら早く的確な判断が求められていました。
単純に「このまま仕事を続けたら事故を起こす」と思いました。
何とかだましだまし、受け持っていた学生の実習が終わるまでの3週間耐え抜きました。

その後、私はすぐにメンタルクリニックに行き、診断書をもらい、休職することにしました。

休職

当初、多忙とペットロスだから1ヶ月くらいで治るだろう、とたかをくくっていました。

休職して初めに起こった症状、不眠から過眠に変わりました。
1日15時間以上寝ていました。一気に寝る、というよりも6時間起きて寝てを繰り返していました。
起きている間は何をしているわけでもなく、ぼんやりするか泣いているかでした。

過眠状態を受け入れられた頃、細々と活動できるようになってきました。
私のこの時の気掛かりは、愛兎のアルバムと感謝の動画を作りたい、というものでした。
休んでいる今がチャンスであり、四十九日までに何とか作りたいと思っていました。

正直、よくなかったと思います。
自分の気持ちに折り合いをつけるために、全勢力を注ぎ込みました。
休んでいるのに休んでいない、とはこのことです。

私の予定だった1ヶ月の職場復帰が叶わないとなると、今度はうつを治すぞーとがんばり始めました。
治療に前向きなのは良いかもしれないけど、治療の邪魔になるがんばりでした。

私が今思う反省すべきことはこちらです。

・仕事をがんばりすぎた
・悲しさMAXのなかで写真や動画を無理して見すぎた
・元気にしないと復職できない!とエンジン全開にしていた

ペットロスの克服する方法やうつを克服する方法の動画や本を見まくりました。
もちろん実践もしていました。何もよくなりませんでした。
休まないといけないと思って休職したのに、休んでない状況がありました。

結局、私は最大の休職期間を取りました。


精神科医が教える病気を治す 感情コントロール術


会えなくなっても、ずっといっしょ – 家族とペットの10の奇跡の物語 – (ワニプラス)

復職

そろそろ働かなくちゃ、と復職しました。
1ヶ月のつもりが半年も休んでいました。

復職して、私はすぐに気がつきました。
休んでも落ちた能力は戻らないんだ…ということ。
体感60%ほどしか戻ってない。

それでも仕事はできました。
事故も起こさないだろうな、と思う程度にはできました。
でも、誰よりも自分自身がそのことを許せませんでした。

半年ほど働いて、時差はあったものの新しい兎を2羽迎え入れました。
その兎達の手術や体調不良が少し重なった時、私の疲れは限界に達していました。
私は病気になる前と同じように自分の能力を見積もっている部分がまだあったので、自分でも驚きました。

二度目の休職

正直、いろんなことが重なって、最後の一撃を加えたのは上司でした。
言葉のアヤだったのかもしれませんが、この人と一緒に働きたくないと本気で思いました。
患者さんの未来や部下を踏みにじるような内容でした。
私を思って発言したのかもしれませんが、軽蔑するような内容でした。

とにかく私は不安定な状況や心境を今の自分では全て処理できないと思い、また休職しました。
半分くらいもうこの職場には戻らないだろうなと思いました。

またMAXまで休職をして、退職しました。
思うことはたくさんありましたが、そもそも3年目くらいからずっと職場を変えたいと思っていたし、そこから10年以上も延長して働いていたんだから、と思うとどうでもよくなりました。

減薬〜寛解

私はずっとイフェクサーをMAX量飲んできました(他の薬も飲んでいました)。
仕事もやめたので減薬を申し出ました。
そもそもペットロスだし…とどこかでずっと思っていたので、早く解放されたかったのです。

減薬は本当に辛かったです。
たぶん仕事をやめてなかったら、できなかったと思うくらい辛かったです。

とにかく気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。
動けないくらい気持ち悪い。息を吸うだけの動きで吐きそうでした。
減らして1〜2週間は確実に続きました。

薬は段階的に減らします。私はMAX量飲んでいたのでこれが何度も繰り返しありました。
最後のゼロにするときが最も辛く、3ヶ月くらいは体が慣れず、苦しみました。

あまりにも酷い減薬症状の時には、薬を減らすのをやめるか、違う薬で対応するのがセオリーです。
しかし、私はすぐに減薬したかったのもあり、精神科の先生にも平気で「大丈夫」と言いました。
定期的に「イフェクサー 減らす 症状 つらい」で検索していました。

イフェクサーを飲んだことがる人は分かると思いますが、飲むのを忘れると薬が切れる瞬間がわかります。
長時間だらだら効く薬と言われていますが、「飲み忘れてる」とはっきりと分かります。
気持ち悪さがきて、ひどい耳鳴りがして、ずっとめまいがしてて、とにかく「早く薬をくれ…」状態になります。
飲んだとしても、一度出た症状はすぐにはおさまりません。これもまた1週間くらいはだらだらと続くのです。
飲み忘れた自分を恨むくらいに続きます。

話が逸れているので戻します。
私が減薬〜ゼロになるまで1年かかりました。
そして、最後に「もうこなくていいよ〜」と先生に言われ、今は寛解となっています。

伝えたいこと

ペットロスは人間の普通の反応です。
ただ、私のようにペットロスがきっかけで、違う症状が出てしまうこともあります。

ペットロスの一番の治療は時間です。
ただ、私のようにうつに進行した場合は、病気なので治療が必要です。
うつは心の病ではありません。脳の病気です。
脳が適切に神経伝達物質をコントロールできなくなった結果です。

私のようなケースもあるんだなと事前に知ることで、早めに受診できたり、「やらなきゃよかった」を知ることで、回避することができます。残念ながら私は事前に、ペットロスからうつを発症している人を知ることはありませんでした。「うつっぽい」だったら、たくさん目にしてきたのですが…。

この記事が少しでもみなさんの役に立てればと思います。
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